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Tridhara

~An Academy of Odissi,Folk,Tribal Dance& Music~

Guru Gajendra Kumar Panda

Director, Tridhara/an extreamly good Odissi dancer,

teacher and an amazing choreographer

 グル・ガジェンドラ・パンダは、1987年よりトリダーラのディレクターを努めるオディッシーダンスの巨匠で、グル・デバプラサッド・ダス・スタイルの継承に誇りと情熱を持って取り組み続けています。彼の信念は、”グル・デバプラサッド・ダスの唯一無二のダンスフォームを守ること”です。偉大なグル・デバプラサッド・ダスと10年間寝食を共にし、師に最も信頼されていました。その身体には、グル・デバプラサッド・ダスの魂が生きています。
インド国内はもとよりマレーシア、シンガポール、ヨーロッパ、アメリカ、日本でも多くのワークショップや公演を行っています。新しい振り付けにも意欲的で、素晴らしいコレオグラファーとしても知られています。インド文化省よりナショナルフェローシップの受賞をはじめ、数多くの賞を受賞しています。

​受け継がれる伝統(Parampara)

私のグルジ、ガジェンドラ・クマール・パンダは、グルデバプラサッドダスの家に10年間暮らし、そのスタイルを学びました、

家族、それ以上の信頼関係だったと聞きます。

デバsirがこの世を去る間際1ヶ月、グルジは片時も離れず付いて看病したそうです。

他ならぬデバsirがそれを望んだからだです。

その話をしてくれたグルジの目には涙が浮かんでいたように思います、私の目にも涙が浮かびました。

 

インド伝統におけるグル(師匠)とシシャ(弟子)の関係はとても深いものです。私はデバsirの足に触れたことがありません。しかし私がガジェンドラsirの足に触れる時、言葉に表しようのないエネルギーを感じます。彼もまた、デバsirの足に触れていました。そして私が推測するに、デバsirもまた彼のグルの足に触れ、そしてそのまたグルも、そのようにしてきました。ですから私はグルジの足に触れさせて頂く時、個人の足であるという三次元的な見解を理解しながら越えて、誰の足でもないことをも、尊敬や感謝と共に感じています。こうして受け継がれる聖なるエネルギーが、伝統継承において最も大切であると考えます。

グルとは単に専門分野における先生というだけでなく、生き方や、もっと深い精神的な導きをしてくれる存在です。

グル・デバプラサッド・ダスについて

Late Guru Debaprasad Das

<グル・デバプラサッド・ダスの経歴>

オディシャ州カンタプーラ村で誕生。母親は、彼が2歳の時に死去。父親は警官で多忙だったため、祖父に育てられた。村のジャットラ(パフォーミンググループ)で、祖父の手ほどきでマイムやバイオリンに慣れ親しむ。6歳の時にプリーへ移住。学校に通いながら、近所にあったアカダ(伝統的なインドの学び場)で歌と踊りの手ほどきを6年間受ける。その後バランプールへ移住。父親は彼を劇場に送り、下積み生活を送った。最初の給料は1ルピーだったとの話が残っている。その後、伝説のアンナプルナ劇場でグル・パンカジチャラン・ダスやグル・ケルチャラン・モハパトラと同じ舞台に立つ。ウトカル・サンギータ・マハヴィディヤラーヤ芸術大学で教鞭を取る。弟子のインドラニ・ラマンと共に、初の海外ツアー。この時、オディッシーダンスは初めて海外で披露され、これはオディッシーダンスの歴史の中で重要な出来事として残っている。1977年には名誉あるサンギータ・ナタカ・アカデミー賞を受賞。彼の踊りのスタイルは独特で、これは「オディッシーダンスの要素にはマハリ(寺院付きの巫女)やゴティプア(その後に登場した寺院の外で踊る女装した少年)だけでなく、オディシャの伝統的な文化も含まれる」という考えによるもので、オデォシャ地方に元々あったフォークダンスやトライバルダンスの要素を取り入れていることで知られている。しかし、このスタイルが成熟期を迎える前に、1986年7月16日、若くしてこの世を去った。54歳?だったと言われている。

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